子育てと家族と自分と…

雑多記事ですが、読んで下さっている方にも、有益な情報であったら嬉しいです。

視力は回復できるもの

yumedokeiです。

視力回復についての記事を次々に公開しています。

最初の記事はこちらです。

kosodatekazoku.hatenablog.com

 

今後の私自身の視力回復への道のりをお伝えするとともに、私と同じように視力の低下でお困りの方に少しでも有益な情報をお伝えできれば嬉しいなと思っております。

そして今回は、私の視力回復へ情熱&執念について綴りたいと思います。

目が見えることは私にとって奇跡

さて、そもそも一度低下した視力が回復することって本当に可能なのでしょうか?

答えは、希望的観測で「YES」としたいです。昨日のブログにも書きましたが、私は幼少期に一度『弱視』と診断され、失明の可能性もあるとまで言われました。そして視力はすでに「0.3以下」しかし、様々な奇跡の重なりによって小学校高学年には「1.2」まで戻ることができました。これは否定のしようもない事実です。ですが、幼少期の視力に関して言えば、まだ柔軟性があるとのことで、回復の見込みはかなり高いことも事実でした。私の『弱視』はたまたま母が見つけてくれたので、対処するのが早かったことも大きいです。 しかし、根本的体質は『弱視』ですので、いつか視力を失ってしまうのではないかという恐怖は常にあります。でも、眼鏡をかけてでも、コンタクトレンズをしてでも「目が見える」という当たり前のありがたさに気付けたことだけは収穫だと思っています。

 

奇跡的に回復した視力

失明するとまで言われていた幼少期、しかし何とか頑張って視力が回復し始めてきた小学校高学年。ですが、子どもならでは嫌な思いをすることもたくさんありました。当時は眼鏡をかけている子どもが今のようにたくさんいるわけではなく、クラスに1人いるかいないかくらいのかなりのレアキャラ。当然周りの友達は眼鏡に興味津々。貸してと言われ、素直に貸すと「見えない」と言われ、そのたび落ち込んでいました。「見えない」ということは視力が良いから眼鏡が必要ないということなのですよね。しかし、視力も徐々に回復し、時々眼鏡を外して良いと眼科の先生からの許可を得るようになると、裸眼でいられることが何か特別な待遇のようで毎日がとても充実していました。目が見えるって本当に素晴らしい!

 

第二期視力低下のはじまり

しかし、神様は単に私に執行猶予を与えただけでした。というよりも試していたのかもしれません。中学に入学するとテスト勉強で目を駆使せざるをない状況になり、おまけに大のマンガ好きもこの頃がピーク。部活動(運動部)以外はほとんど目を使ってばかりいました。思春期で現実逃避的な時期なのもあってか、自分の『弱視』についてはあえて封印していたような気がします。しだいに視力は低下していくのですが、あたかも目は悪くないふりをして眼鏡もかけず、見えない時は目を細めて見たり、首をかしげて見たりと、かなり不自然な見方をしていました。その影響で結局また元の眼鏡生活へと逆戻り。そして、眼鏡を外す癖がついてしまったので、中学三年生の頃にはコンタクトレンズを勧められるがままに使用することになりました。今回は、自分の不摂生が祟ったのだと悔やんでも悔やみきれず、そして母にも申し訳ないことをしたと深く反省する日々が続きました。

 

眼鏡とコンタクトレンズは生涯の伴侶だと思っていた

それ以来、眼鏡とコンタクトレンズとは一度もお別れをしないままともに歩んできました。そしてこれからもずっと一緒だと思っていました。煩わしさは最初だけでしたので。それよりも見えることの方がやはり何十倍と嬉しかったのです。もう30数年と眼鏡とともに過ごしているとそのサイクルが当たり前なので、朝起きたらすぐ眼鏡・コンタクトレンズ、そして寝る直前までコンタクトレンズと、すでに自分の目となって働いてくれていたので、ないと生きて行けないとさえ思っていました。私の半生は眼鏡とともにあると言っても過言ではありません。

 

老眼が意識を変えた

しかし、年齢と共に自分の体力や能力が衰えるということは、目も決して例外ではなく、それは老眼という形で表れ始めました。遠くの物は眼鏡があれば一応難なく見ることができるのですが、近くの物にピントを合わせるのは時間を要するようになったのです。新聞などは一度離して読んだりと老眼の症状そのもので笑ってしまいます。ただ私の今までの老眼のイメージと少し異なることがわかりました。老眼とは単なる「近くの物が見えづらくなる」というだけではなく、字を読む意欲や読解力にまで影響を及ぼします。きちんと見えなくなってくると「もう最後まで読むのも面倒くさいなぁ」「さっきから何回も同じところを読んでいる?」など無意識にその影響力の威力を感じます。今までは難しい文章でも、時間をかけてでもきちんと解釈しながら読むことが出来たことが、今では流し読みで何となくわかった気で終わらせてしまったりするのですよね。今までになかった現象だったので、今度は次第に恐怖を覚えるようになりました。そして大人になっても視力回復は諦めたくないと強く思うようになり、書店で視力に関する本を買っては読むようになりました。心の中で、まだまだ取り戻せるのだと淡い期待を持ちながら…。

 

疑問から確信へ

本屋さんには視力回復に関する魅力的なタイトルの本がたくさんあります。その中で自分の求めているような本に出合えるのかとても不安でした。「○○式視力回復法」と言ったものも多く見かけ立ち読みもしましたが、性格上、理屈よりも単純明快な答えを知りたかったので、簡単で分かりやすい本を探し続けました。すると、1冊の本に出会いました。 


スッキリ!見えるように戻る視力回復セルフケア [ 山本正子(ヨガ) ]

という本です。

 

私は本を選ぶ時、まず目次の内容で全体がどんなコンセプトなのかを見極めます。そして。この本は、目のケア・エクササイズだけに留まらず、食の陰陽にまで焦点が置かれていました。まさに私が知りたかった内容そのものが網羅されていたのです。幼少期に母が視力回復のためにしてくれていた中に、食べ物の大事さも含まれていたので、とてもストンと腑に落ちるものがありました。そして、目だけではなく心と体のバランスが必要ということも納得でした。しかも、その本の最初の方には、

目の衰えは回復します!

とはっきりと記載されていました。その時ようやく老眼も諦めることはないのだと希望を持つことができたのです。

 冒頭を少し、抜粋させていただきます。

視力は一度悪くなったら、二度と元には戻らないと思っている人が多いかもしれません。しかし、決してそんなことはありません。視力低下や目の様々な不調は目の血行不良が原因で、その結構不良は血液を運ぶ筋肉の衰えから来るからです。目と目の周辺には、光や色を感じるセンサーの役割である神経細胞がたくさんあり、それを取り込むようにし無数の細かい血管が複雑に張り巡らされています。目がきちんと機能するには、これらたくさんの血管に充分な血液が必要なのですが、筋肉が衰えたり、緊張してこわばったままになってしまうと、血液が滞ってしまうのです。このため、目の働きは低下し、視力にも影響が出て、日々不調に悩まされることになります。つまり、血行をよくすれば、視力は何歳になっても向上し、不調は改善するといえます。

引用【スッキリ!見えるように戻る視力回復セルフケア 】より 

なんだか、とても希望の持てる文だと思いませんか?

視力低下、そして老眼は改善しないのだと諦めなくても大丈夫みたいです。

そして、私自身の根底にあった「大丈夫だという確信、太鼓判」をどこかで得たかったかもしれません。一般の眼科医では得ることはできませんでしたが、1冊の本との出会いで得ることができました。そうとわかれば実践あるのみ、いろいろ試しながら裸眼を目指して行きたい思います。

 

※視力回復には個人差がありますので、私が実践していることが全ての方に適合するとは限りません。ご自身に合いそうな回復方法を実践してみて下さい。『裸眼』を目指して一緒に頑張って行きましょう。